100という数字の魔力     諸岡 俊弘

 100という数字を意識しだしたのはいつの頃だったでしょうか。
「お百度参り」「読書百編」等、昔より100に関する言葉は沢山あります。
 私自身の100にまつわる話しを少しあげてみますと、最初に思い出すのは中学時代、社会科の先生に「100点取りたければ教科書を100回読め」と言われたことです。
 その後大人になってからですが、知人の老画家から若い頃のエピソードをお聞きました。それは日本画家の横山大観に絵の上達法を聞いた時「上手になりたければ一つの絵を100枚画きなさい」と言われたそうです。また50を過ぎて始めた書道の先生も「上手になりたければ月間100枚、つまり一つの手本を毎日3、4枚書きなさい」と言われました。私達の身の周りに気をつけていると音楽、スポーツ、語学の世界でも似たような話が沢山あります。読む、聞く、話すことはもとより体を動かして何か習得するとき、100という数字が常に前に立ちはだかってきます。私にとって100という数字は何とも魔力を秘めた数字に思われてなりません。
 “100”の魔力に取りつかれていたとき『ハガキ道』の著者、阪田道信氏の次の言葉が一つのヒントを与えてくれました。「ハガキを書く場合、5枚、10枚と書くうちは駄目だが、20枚、30枚と書いてくると、いいものを書こうという頭がなくなる。そしたら無意識に書くようになった。数をこなすようになっていいハガキが書けるようになった」つまり、量の変化が質の変化をきたしたというのです。100の数字の魔力は,、まさにこのことではないでしょうか。世の中の各分野で名を成してきた人たちは、この“100”の壁を乗り越えて日々練習に励んできたに違いありません。今、試しに何でもよいのですが、同じことを100回繰り返してみると、いかにこの数字を達成することが、大変か思い知らされます。
 さて、技術的なものと少しかけ離れますが、私は数年前太宰府市にある宝満山(829m)登山を2年半かけて100回達成しました。現在チャレンジしているのは、脳梗塞で倒れ、言葉を失った友人に絵手紙100枚画くことを目指しています。これも達成するのに2年以上かかるのではないかと思っています。さて、皆さんも身近なテーマを見つけ100にチャレンジしてみてはいかがでしょうか。達成した時、きっと100の数字の魔力を感じることが出来ると思います。(太宰府市在住)